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趣味 

 

「それではルネサンスについて語ってください。」

突然、知人から質問されたとします。

ルネサンスでなくてもよいのですが、なんとなく知っているものを聞かれたとする。名前だけや、一応の概要は知っている場合でもよい。

あたなは質問に満足に答えることが出来るはずがない。

より詳しく答えようとするなら、どうすればよいか。そもそも答える必要があるのか。



各人、なにかしら仕事にはしていない趣味があるだろう。

その趣味は如何程のものでどう向き合うか。その答えを探りたい。



その自分の趣味は、具体的にどういうものか?自分にとってどういう存在かではなく、真に何であるか、答えられるであろうか。

一言でなくてもよい、文庫本数冊程度の量を語ることが出来るならそれに越したことはない。しかし自分から見て、少なくとも自分の回りで、そう多く語ることが出来る人間は少なくないように思われる。

十分多くを語れないならどうすればよいか。勿論、試行錯誤をするのが最もよい。資料に当たるのもひとつの手段だがそれが目的となってはいけない。(ということについてはいつか詳しく述べるつもりだが)

しかし、その中の多くの人は口をそろえてこう述べる。

「自分にとってその趣味はそこまで重要なものではないから。」

確かに、わからないでもない。では彼にとっての趣味と趣味でないものの違いは何か。

単なる好みだろうと思う。それは理由なき主体的選択だと思う。理由はあっても浅はかなものではないか。



逆に趣味程度に対し、それを系統的に分類し、一々研究する主体的行為は無駄であろうか。

自分はそんなことはないと思う。趣味だからとはいえ、いくらでも分析・研究するべきだ。そこまでする必要があるのだ。

そこに新しい発見は必ずやあるし、自ら得ることの出来た知識は、本人はもとより、本人以外にも多大な刺激となるだろう。



例えばアート。特に絵を描くことを趣味にする人なら、人を描くことに限定するだけでも、人間の様々なポーズ、筋肉、服のデザイン、髪型に精通していなければならない。更に服のデザインには言うまでもなくそれ自体様々な歴史を持つのでそれを研究するするとこれから描こうとする人をよりよく表現出来るだろう。

更に風景、建造物、人以外の動物をも描こうとすると、考察すべき対象は計り知れない。

考察なくして描けるようになることは超能力でも使わない限り決してあり得ない。



もし、趣味だとしてもそれが本当に好きならば、個々人に応じた目標を持って愛するかのように接するのも悪くないと、自分は思う。

現実には仕事や人付き合いにより、趣味に向き合う余裕がないことも多いだろう。だが、もし時間に余裕があるならその時間を無駄に過ごさずに自分の趣味についてよく考えるのもよいと思う。それが本当の意味での"時間を趣味に費やす"ということなのではないか
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